性と精神的障害とはどういうものなのか


   ヒトは生物であり、生殖としての性行為を行うと同時に、性は深く人間存在の精神面に関係している。そのため、人間の性の行動や現象が、様々な分野に横断的に関係することになる。
   実際、精神を持つ人間は、プライドを持ち、社会の規範、他者の視線を意識し、性行動は、人の心理のありようと密接な関係を持つ。また人間は、社会的な存在であり、文化を持つ存在でもあるため、人間の性の現象は、社会や文化などにおいても多様な位相を備えることになる。
   人間のは、人間の存在のありよう(性存在性=セクシュアリティ)と不可分なものである。性別、年齢問わず人は性的存在であることから逃れられない。人間は社会的な生き物であり、社会には性の区別が存在するからである。

   たとえ、人が孤独の無人島で過ごしても、社会より隔絶された意識と共に、なお社会の成員であるという心の意識は消えることがない。性の区別のない社会や世界を言葉で考えてみることはできるが、実際にそれがいかなるものであるのか、「すでに性ある存在としての人」には、実は想像も構想も不可能な何かである。

   人間は動物でもあれば、心を持ち、自己を意識する精神存在でもある。更に、人間は社会的存在であり、他の人々との共同体のなかにおいて生きている。社会には個人の生死を越えて伝達される文化がある。
   人間の性の現象は、このようにして、動物としての肉体的な性愛、生殖を目的とした交わりの位相も持てば、男性と女性の社会的な親交関係や、社会の制度や規範や政治に関係する位相も持つ。

   生物における性の存在の意味は、死の発生の意味についても記されているように、多細胞生物であって、かつ遺伝子の多様性を確保しようとすると、何かの合理的な遺伝子の混合・交叉・シャッフリングの機構が必要になる。そのための機構が性であり、「複数の性」をもつ生物も存在するが、生物の進化途上において、多くの生物では「二つの性別」に収束した。このことには数学的な合理性があるとする立場もある。
   このような生物の進化の視点から見、なおかつ目的論的に記述するならば、人間に性別が存在することは、生殖と生命の多様化・環境適応・進化を目的としているということになる。また性行為は、生殖・子孫の生成を最終目標としているとも言え、それは個人の生とは、元々関係なかったとも言える。

   生殖行為はするが、子孫の育成のためには何の努力もしないという生物は多数存在する。一方、哺乳類が代表的であるが、子孫の育成に親が大きな労力や努力を払う例もある。ヒトは哺乳類の中でも特に幼弱な状態で出生するので、親(ないしその代理)が施す養育は極めて重要である。子供を保護し育てようとする母性はヒトに深く刻み込まれ、一方で個人の人生とせめぎあう。

   性行為は子孫の繁栄と遺伝子の多様化・進化のために必要な行為であるとすると、生殖の相手の選択は、遺伝子的に優勢であると考えられる個体、子孫の存続と繁栄に有力な特質を備えていると考えられる個体が望ましいとなる。

   動物における交配相手の選択では、やはり、体力があり、知力も備える(言い換えれば、交配行為で巧妙な行動が取れる)個体が選択されることになる(孔雀の交配においては、雌が雄を選択するが、その基準は、雄孔雀の広げた尾羽根にある「目の模様」の数であるという研究がある)。

   人間の場合にも、他よりも優れた身体を持ち、知力を持ち、それに伴う行動の巧みさや生存能力の高さなどが、現在でもなお、相手の選択の基準になっているが、人間は社会的存在であるため、相手の社会的な立場を考え、あるいは将来の可能性に賭けて、交配相手を選択することが加わるのである。

  
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